Smoky life in Rochester

Rochester大学にポスドク留学中の日記。膠原病専門。

Encampment

今日は朝ご飯を食べに、近くのダイナーに行きました。マジ美味かったです。これで6ドルなんで言うほど高くないです。

 

 

マウスの細胞培養ですが、一応前回のおさらいをしておくと、私とトレーナー双方が、私の培養液と培養器で培養失敗し、トレーナーの培養液と培養器で成功したところでした。今週は私の培養液とトレーナーの培養器で(今回は私のみ)培養を開始し、本日途中経過を観察したところ、何とめちゃめちゃ細胞が増えていました!感激!

この、細胞がちゃんと増えてて嬉しい!っていう経験は人生で2回目ぐらいで、最初は院生時代に、培養液交換をさぼったせいで死にかけていた細胞株を何とか粘って培養して、数日後にシャーレ一面に元気な細胞株が広がっていたのを見たときですね。なんか、こんなこと言ったら怒られると思うんですが、医師の中村哲さんが、アフガニスタンで現地の人たちと手作りで用水路をつくったことがありましたよね。彼の死後、それを撮ったNHKのドキュメンタリーが再放送されていたんですが、荒野に用水路を引いて、植物を育てたら、本当に緑がぶわーっと広がっていて、その光景には涙が止まりませんでした。(頼むぞ〜)と祈りながら顕微鏡を覗いて、細胞がぶわーっと増えていたときの喜びって、それを彷彿とさせます。

まぁとにかく良かったです。久々にボスに、「やりました〜!」って単なる報告だけのメールを送ってしまいました。

 

ところで、コロンビア大学で学生たちがテントを張って野営デモをしていて、警察が突入する事態に進展したのをきっかけに、全米の大学生たちが同じように野営デモを展開しています。彼らが掲げているのは、ガザ停戦、イスラエルはジェノサイドをやめろということと、自身の大学にイスラエルとの経済的な関係を切れということです。こういうのを(investmentの逆で)”divestment"というらしいです。
ちなみにここ数日で、結構いろんな大学で警官が突入していて、昨日はアトランタのエモリー大学で警官が入ってきて、何と哲学科の教授(ノエル・マカフィー先生)が逮捕されたり、ほかにも老齢と思われる女性教授が地面に顔を押し付けられて逮捕されるという信じられない動画がネットでも拡散していました。実はロチェスター大学でも、医学部とは別のメインのキャンパス内で野営テントがはられています。今回のイスラエルの問題は、アメリカの大学文化を激しく直撃していますね。数ヶ月前には、公聴会ハーバード大ペンシルベニア大、MITの学長が呼ばれて、共和党議員が「デモ学生が反ユダヤ的な発言をする自由はあるか」という質問をしました。そこでUPennの学長が「それは文脈次第」と少し「逃げ腰」な説明をしたことで炎上し、辞任に追い込まれました。ハーバードの学長も同様の対応で、そのときは周囲のサポートもあり一時留任しましたが、しばらくしてから論文の盗用だか何だかを疑われて辞任することに(この論文盗用疑惑も共和党陣営による激しいキャンペーンが行われました)。で、こういった事例で、やはり背後にイスラエル・ロビーの存在があるとか言われますよね。ウォール・ストリート系の資本家のなかにそれなりにシオニストがいて、大学のファンディングにも相当程度影響していると聞きます。どうなんでしょうね。

ということで、朝のミーティング中に我がロチェスター大学の理事会を調べてみました。こちらがBoard of trusteeのメンバーですね。

Board of Trustees - About the University of Rochester

ここで理事会のトップにいるRichard B Handler氏を調べてみると、10月7日の事件のすぐあとにイスラエルへの支援金を集めたりとかなり積極的に活動していました。まぁこの問題について明言しているわけではないので断定は避けますが、いずれにしろアメリカの名門私立大学というのは、経営に携わる資本家達の影響を受けてしまうという弱みがあると言えます。

ロチェスターでは、今のところ平和的に物事が推移しており、少なくとも大学のアカデミックアドバイザーの方は、表現の自由の範囲ということで承認されているようです。

www.wxxinews.org

 

ちなみにシオニストシオニズムなんですが、鶴見太郎先生の『イスラエルの起源』などによると、ヨーロッパでの苛烈なユダヤ人迫害、ホロコーストを経て、「俺たちユダヤ人は人が良すぎてみんなにいい顔しているけど、いざ戦争や内戦が起こると結局迫害される。国家と軍隊を持ち、強いユダヤ人にならねば」というような思想的バックグラウンドがあるようで、それが現在の国家としてのイスラエルのある種の妥協のなさというか、執拗な攻撃性につながっているということです。まぁしかし、まさか白昼堂々、警官が大学のキャンパス内で教職員を逮捕することになるなんて。。大学は誰のものなのか、という問題を否応なく突きつけられますね。(もちろん、これだけ全米で抗議行動が広がりを見せているということ自体に、アメリカの強さがあるとも言えますね。学生たち、なんて立派なんだ。)

 

 

もうすぐ半年

マウスの細胞培養で進展がありました。前回のミーティングで、僕の無能(!)・怠慢(!)が疑われた結果、トレーナーと一緒にマウスを別々にさばいて、同時に培養を開始するというスケジュールを組みました。一回目はトレーナーのラボで実施して、二回目は僕のラボで僕の培養液を使って実施しました。一回目をやったとき、サイレンススズカの大逃げを食らったかのようにトレーナーに大差をつけられ、「お前もっと練習した方がいいぞ」と言われたのですが、しかし何とか僕の細胞も含めて順調に培養でき、僕のさばくスピードが遅過ぎて培養できてない説が否定的になりました。次に僕のラボでやったときは、何とトレーナーの細胞も含めて全滅という結果になり、遂に僕の無能(!)・怠慢(!)の疑いが晴れました。細胞が培養できていないのに喜ぶ自分。。ということで、培養液、または培養器に問題があるんじゃないかという話になり、今週も組み合わせを変えて実験してみることとなりました。

 

先週末は、政治学科に通う院生の日本人夫婦とウクライナ料理を食べに行きました。ポーランド料理も近場では全然見つけられないので、結構レアなんじゃないかと思います。ダンプリングを頼んだらすごい量が出てきて、それ以上食べられなくなったので、次回また別のものを食べに行こうかと。
それにしても、こっちにいる日本人、院生も含めてみんな結婚していてビビりますねぇ。Z世代は晩婚ちゃうんかと思ってたんですが、結婚してる人の方が留学する傾向にあるんでしょうか。あるいは学歴と経済的ステータスの影響が相当にあるのかしら。こちらはPerfect Daysなんで問題ありませんが。

 

そういえばこちらに来てもうすぐ半年が経過します。映画館にも通えて、週末の課外活動も見つかり、NYCも行ったし、実験もまぁまぁ進んで(?)、とおおむね順調な感じですが、英語はもうちょっとできると思っていました。というか、半年でもうちょいできるようになると思ってました。。何というか、ラボ内でのコミュニケーションって、ちゃんと喋れてなくてもだいたい伝わってしまうんですよね。"Hey, this interferon, very little!"とか言っても伝わっちゃうので、このフィーリングに依存しているとかえって英語が下手になる気さえしてきます。あとはやっぱり、ベラベラベラベラベラベラと喋られたときに、おいていかれる傾向がいまだにあるので、この辺は単なるリスニング力以上に、リスニング持続力を鍛えないとなぁと思います(とはいえ、向こうがベラベラ喋ってる間に頭のなかで英文を組み立てる感じなので、ある意味時間的猶予を提供してくれてるとも言える・・・)。
CBCポッドキャストをなるべくバスの中でも聞いたりしてやっていますが、まぁもう少し頑張らないとですね。

 

El Enemigoというアルゼンチンワインのブランドのシャルドネがクソ美味いです。

 

今日の一節

「私にはスタートだったの あなたにはゴールでも」

涙浮かべた君の瞳に 何も言えなくて 

まだ愛していたから

"I tried to start when you thought was a goal"

I got speechless in sight of you with tears in the eyes

Because I still loved you...

知久光康 作詞 『何も言えなくて・・・夏』)

 

 

NYC

昨日からシンポジウムのためニューヨークに来ています。関節リウマチの基礎研究〜臨床についてエキスパートが代わる代わる延々と喋り続けるシンポジウムで、ニューヨークのHospital for Special Surgeryという、マンハッタンのイーストリバー側にある病院のカンファ室で行われています。当日行ってもすぐには辿り着けないだろうという想定のもと、昨夕ホテルにチェックインしたあと、現場に向かってみました。

ホテルからは歩くと40分ぐらいかかるので、自転車で行きます。Citi bikeという自転車シェアサービスが街全体に整備されているので、とりあえずどこでも行けそうです。バイクレーンを走る宅配勢が恐ろしいスピードで走っていくのでだいぶ怖いですが、マンハッタンの街を自転車で行くのも楽しいっすね。

全然知らなかったんですが、HSSの周りには、コーネル大学の医学部、ロックフェラー大学、スローン・ケタリング研究所が連続して建っていて、最初にHospital Main Entranceの案内に従って進んだらコーネルの方でした。思わず御茶ノ水かよとツッコミそうになるなど。

ちなみに昨夕、HSSのカンファ室までちゃんとみておこうと思って、フロントの人に案内してもらいました。考えてみると「下見」って便利な言葉ですけど、英語だと何て言うんでしょうか。とりあえず長々と、"Hi, I am supposed to come here to attend the conference tomorrow, but I wanted to make sure where it is."と言ったら伝わりました。(調べると、previewとか、preliminary inspectionとか出てきますが、なんか違和感・・。I came here to preview the conference roomとかで伝わるんでしょうか)

 

内容は結構面白く、学会よりも集中して聞けましたが、朝8時から5時まで延々とやっていたので、最後の方はさすがに集中力が切れてきて、何度自分を奮い立たせても何も聞き取れなくなっていくのが我ながら無念でした。最初のセッションで質問したので、まぁ良しとしましょう。

ちなみに、12時から昼食+ネットワーキングという地獄の2時間があり、早々に部屋を去って、路上の屋台でハンバーガーを食べて外で時間を潰していましたw

今回のシンポジウムはうちのボスも共催に名を連ねており、会場にも来ていました。前半は座長を務めるセッションもあり、最前列にいたのですが、昼食後は私の隣に座ってくれました。優しいw

ちなみに私の東北大時代のボスの留学時代のメンターもスピーカーとしてきていましたが、彼女のセッションのあと、隣に座っていたボスが、「彼女はクリエイティブだけど、ドグマチックで人の話を聞き入れないのよ」と耳元で囁いてきて笑いました。

夕食会の招きもありましたが、近隣のアートハウスでアラン・ドロンの特集上映があるのでお断りしました。明日も朝から昼過ぎまであり、もう一泊して明後日帰宅予定です。

 

到着日の夕食は下見からの帰り道に寄った中華料理屋です。

餃子、チャーハンにビールと完全に王将の食べ方しましたが、美味かったです。

 


今日はイタリア人(?)がやってるピザ屋でパニーニを食いました。中身はカツレツとモツァレラとドライトマトバルサミコ酢をかけてあって、セガフレード・ザネッティより美味かったです。途中でNYPDの巡査がピザを買いに来るという映画でよくある光景を見れました。ピザ食ってる間に犯人が逃走すれば100点ですね。


 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自転車

先週末にアパートの居住者から自転車を買いました。ボルドー色の大きめママチャリ(カゴなし、7段階ギア)で、ヘルメットや雨除け、キーも含めて500ドルで売ってくれました。それがお得なのかどうかはよくわかりませんが。買った日は結構暖かったので、30分ぐらいの距離のスーパーまで自転車に乗って行きました。往復バスではできなかった、「帰りに寄り道」をして、文房具屋でボールペンなどを購入しました。とはいえ、どこへ行くにもなかなかの距離なので、自転車を入手したからフットワークが軽くなるかというとちょっと微妙かも。大腿四頭筋を鍛えればもう少し楽になるかしら。。

 

今日は複数のラボでやってるプロジェクトの月一のミーティングでした。前から書いているように、マウスの細胞培養がなかなかうまくいかず、先週教えてくれている先生と一緒に細胞を取り出して培養してみたのですが、それでもうまく行かず、、、。 「今日は大してアップデートがありません」と言ったら、別ラボのPIがなんか色々文句を言ってきたので、ミュートにしてひたすら舌打ちしてました。

先週は、助教の先生から他大の研究者が書いたRコードとファイルを見せられて、ちょっと良い感じのエクセルにまとめられないかと言われ、「いや私インフォマティシャンじゃないから無理だよ。What do you want from meだよ!」と言ったのですが、そしたらインフォマティシャンとのミーティングで説明させられて、元々関わってないプロジェクトなので完全にグダグダになり、「いやそもそもよく知らないんだけど、とにかくこのコードだけじゃデータ出せないよね!?ね!?」とZoomでもわかるぐらい顔を真っ赤にして逆ギレしました。インフォマティシャンからは、いつでも協力しますよと言ってもらえたものの、なんかこのまま放り投げるのもしゃくなので、週末に「ぐぬぬぬ・・・」と歯軋りしながらgithubと睨めっこして、ようやく大事なところのコードを把握し、ごちゃごちゃやっていたら何とか目的のデータを成形することができました。やっぱり集中力がないときに何度コードを見ても何も頭に入らないことがよくわかりました。

最後のデータ成形の部分は、かなり自己流のコードで無理やりつくった感じで、絶対もっと簡単な方法があるんだろうなと思いながら遅くまでラボでやっていました。プログラミングあるあるなのか、自分の性格なのかよくわからないんですが、「一番効率の良い方法でやる」ということが苦手で、むしろ「手持ちのツールでたどり着けそうなら、それで無理やり行く」というのをやりがちです。プログラミングに限らず、地図を見れば一番近いルートがわかる場合でも、あえて地図を見ずに、自分の記憶をもとに「ここのお店はさっき通ったところだから、ここを右に行けばさっきの道に出て、あとは直進や!」というアナログな方法で行こうとするんですよね。場合の数とかも数え上げるタイプです。イノベーションから最も遠い思考回路だという自覚があります。

それにしても、そろそろ、すぐ機嫌が悪くなるやつだということがバレてきたかもしれないので、一度キレると根に持つタイプだということはバレないように、今週の残り半分はニコニコしながら過ごそうと思います笑

ソーセージと、マッシュポテトとイタリアン・ペッパーを炒めたら美味しかったです



 

本日の一節

エンドロールは流れない 時はもう何も癒さない

繰り返しのシーン 瞳の裏はりついたスクリーン

Would have no end credits

Would waste our time healing nothing

The same scene repeats

Will never leave the screen stuck in my eyes

(milet作詞 『Inside you』)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Eclipse

いま、2つのプロジェクトをやっていて、1つはマウスからとってきた細胞の培養→分化テスト、もう一つは患者サンプルのフローサイトメトリー。フローサイトメトリーは仙台でずっとやっていたので、手技自体は慣れているのですが、あんまり結果が芳しくなくてこのままお蔵入りにならないか心配しているところです。一方の細胞の分化試験については、すでに別ラボの先生が先行データを出していてそれを再現するだけなのですが、なぜか培養がうまくいかず、そこにたどり着けないという状態がかれこれ1ヶ月ぐらい続いています。先生に色々聞くたびに、This culture is not so difficultと言われ、たぶん励ましてくれてるんですが、きいいいいい!!となっています(笑)  ちなみに個人的に思ったのが、留学にあたっては英語で感情を表現する術を覚えておくといいかも、ということです。英語でキレ散らかすことが出来れば、内に溜め込まずにいられます。

まぁしかし、バイオ実験って本当に停滞期の停滞ぶりがやばいですよね。特に今みたいな、前任者ができていることが再現できない状態というのは、日本でも同僚が同じ状況に陥っていてなんと声をかけたら良いのか、という感じでした。どんどんと「自分が至らないから・・・」「自分には才能がないから・・・」と負のスパイラルにはまっていくのは、ハラスメント被害にあったときに陥るスパイラルにも似ていて、自己尊厳が毀損されかねない事態なのですが、なかなかうまくサポートするのも難しかったりして、ラボ運営の難しさなんだろうなと思います。

さて、再来週は皆既日食が北米を中心に観測されます。ロチェスターやナイアガラフォールズの地域がベストスポットとなっていて、全米中から人が押し寄せるのではないかと、当局はヒヤヒヤしているそうです。

 

本日の一節

バス停でおしゃべりしている学生 明日のことは考えてもちろんいるけど

切実さは比べようもないほど明るい あの人の胸にはすぐ飛び込めない

Students chit-chatting at the bus station 

Despite surely thinking about tomorrow

They are too bright to be so serious

They are too shy to run over and hold tight their lover

(TK作詞 Face)

 

 

バッファロー滞在記(2)

こちらに来てしばらくは、How are you? → Fine, thank you. How are you?とか、Have a nice day → Thank you, you too.とかさえ、いざ急に言われると思いの外言葉が出てこなくて落ち込むことがありましたが、ようやくこの2パターンについてはいつ言われてもパッと出てくるようになってきた気がします。とはいえ、いつ言われてもいいように常に準備してる感じです。この2フレーズに限らず、基本的にいつも次に誰が何を言ってくるかを予想しながら、何を言おうか頭でシミュレーションしながら生活していて、それは自分の神経質な性格から来る悪い習慣なんだろうなぁと思います。

でも、個人的に思うのは、人間、一番嬉しいのは言葉が通じることよりも、ジェスチャーのような言語外のメッセージが伝わったときなんじゃないかということです。先日も、バキュームの蛇口を回すというのがとっさに出てこなくて、ジェスチャーでこっち?と聞いたら相手も同じジェスチャーで応えてくれたりとかありました。自分は海外でも意見交換をしたり深い話がしたいというモチベーションで英語を学んでいますが、本音の本音では、むしろ言語外のコミュニケーションこそが人間らしさの一つなんじゃないかなと。ラボミーティングでも、うまく説明ができなくなって、立ち上がって液晶画面の前まで来て図を指さし始めてからが本番じゃないかと(笑)

昭和の名作に『乱れる』という映画があって、加山雄三先生と高峰秀子さんが共演している映画なのですが、電車の発車ギリギリまで雄三先生が駅でソバを食べてて、車内にいる高峰さんが腕時計をさして(早く!)とせかすと、雄三先生が(待て待て)と手で制するジェスチャーをします。今度は雄三先生が自分のソバを指差して、(姉さんも食う?)と誘いますが、高峰さんがこれまたジェスチャーで断ります。こういうのが素敵なコミュニケーションだと思いますね。

ついでにもう一個書くと(無視して結構w)、2006年の『トゥモローワールド』というSF映画があって、終盤に少女を連れた主人公が迎えの船が来る港を探さないといけないという場面があります。少女の命がかかっているのですが、周りには英語の通じない女性しかいない。何とか港の場所を聞こうとして、とっさに、落ちていた石ころで壁にでっかく錨の絵を描きます。これも感動的でした。

考えてみると、スパイ映画とか、大体ジェスチャーでやり取りする場面があって、楽しいですよね。

 

バッファローなのですが、2日目は12:30の帰りのバスを予約していたので、午前中だけの滞在でした。それで、近くにあるマーティン邸に行きました。これは、日本でも帝国ホテルの設計を手がけたフランク・ロイド・ライトの建築で、バッファローで郵便会社(だったかな?)の社長に成り上がったマーティンさんのお家です。

 

なかなか全景を撮るのが難しい、横に広いお家になっています。煉瓦が、少し明るい色合いで、ローマ帝国とかで使われたようなものらしいです。フランク・ロイド・ライトの建築を見るのは初めてで、特に建築家としての特徴も知らなかったのですが、とにかく横方向への動線を強く意識させる設計になっています。で、ツアーに参加しないと中には入れないことになっていたので、ツアーに参加しましたが、残念ながらこのツアーが11:00開始で、40分ぐらいで泣く泣く途中離脱しました。コンダクターの人がかなり説明好きで、玄関でずいぶん時間かかって、早く中入ってくれ〜と思いながら聞いていましたが、中に入るとこれまた凄い独特の空間で、高級ホテルとも違うし、もちろんタワマンとも違う、上質な時間の流れを感じる良いお家でした。もっといたかったけれども、残念ながら一間見ただけで離脱となりました。

で、結局ですね、帰りのバスが運転手が遅刻してるとかなんとか言って、結局90分以上遅延しまして、普通にツアー最後まで行けたじゃん、と思いました。

なんか別館で帝国ホテルに関する展示を5月までやっているらしいので、近いうちにまた日帰りで行ってみようかと考えています。

 

(今日の一節)

海よ 俺の母よ 大きなその愛よ 

男の虚しさ 懐に抱き寄せて

忘れさせるのさ 安らぎをくれるのだ

Ocean, my mother, what a great love you give me

You embrace my hollow heart, from which you release me

What a relief you give me

岩谷時子作詞 『海、その愛』より)

Scientist

今週は培養→上清添加→染色という一連の流れを行いましたが、うまくできませんでした。なので昨夜、「うまくいかなかったよ!みなさん良い週末を!」というメールを関係者に送ったところ、直接教えてくれた先生(別のラボ)からさっそく返答があり、かなり色んなところで修正が必要であることが判明しました。ありがたいのですが、その先生はいつも「プロトコルをよく読むように」と言いつつ、確認のために質問するとプロトコルと違う答えが返ってきますw それも含めて優しい人なのですけど。はじめから正解を頭に叩き込んで模倣するより、ある程度試行錯誤して少しずつ訂正する方がより深く体得できるという面はあるので、(ボスに急かされない限りはw)今の感じでも良いかという感じです。

 

ビデオニュース・ドットコムで、久しぶりに東北の被災地復興の話がとりあげられていました。(こちらはダイジェスト版で、詳しくは月額登録で見ないといけません。)

 

www.youtube.com

話は、被災地復興のなかでも、高台移転と防潮堤建設という「プロジェクト」が、いかに当事者置き去りのいかがわしいものであったかというところから始まります。防潮堤建設も、そういうスキームが最初からあったわけではなく、途中から突然出てきたということです。また、高台移転というのは、当たり前ですが原状復旧に比べてめちゃめちゃ時間がかかるので、その間に余裕のある人は外へ出てしまうので、かえってコミュニティが弱体化するんだということもなるほどと思わされました。

完成後の防潮堤は見てないのですが、これまで普通に海が見えていた景色に突然コンクリートの壁ができてしまうというのは、(賛成反対は抜きにして)たしかに「異様」です。
何かを恐れると、人はなぜか「壁」を作ってしまうのですね。

ゲストの山下さんが言っているのですが、住民の意見集約や連携が市町村レベルで行われていても、どうも県(あるいは国)が強権的なやり方で、ものごとを違う方向に持っていってしまう、そしてどちらかというと岩手県よりも宮城県の方が執拗に防潮堤を張り巡らせていて強権的だと言っています。宮城県知事は震災当時から今まで変わっていません。
私が仙台にいた頃、宮城県美術館という前川國男が設計した築40年ぐらいの美術館の老朽化に伴う建て替え工事が計画されていたのですが、突然、楽天球場近くに移転しますと宮城県が言い出しました。結局、大学人や美術関係者、一般市民がかなり大きく反対運動を行なって、頓挫させたので、めでたしだったのですが、今から振り返るとやっぱりそういう知事だったんだなと妙に納得させられます。

今回のビデオニュースでも、防潮堤建設ありきの政策が進む中、気仙沼の人たちが署名運動を展開して、砂浜を残す方向になんとかこぎつけた(大谷海岸)という事案が紹介されていますが、インタビューで三浦さんが語っているように、「ここまで頑張らないと残せないのか」という具合に、住民側の意見を通すハードルがあまりにも高いようです。

なんでそんな防潮堤なんて建てちゃったんだろう、と今になると思うし、上の動画でも皆さん首をかしげていますが、しかし当時をふりかえると、世の中はそういう流れだったと思います。自分は当時すでに大学生で仙台に住んでいましたが、震災時はちょうど東京に帰っており、しばらくは東京から被災地について考える状態が続いていたのですごくよく覚えているのですが、東京の雰囲気はぶっちゃけ、「被災地は確かにかわいそうだけど、あんなとこに住むのが悪いよな」でした。復興についても、「同じところに建てて、また流されたら金がかかるし、高台に移転するのが当然だろう」という本音がかなりあからさまに感じられました。なんでわかるかというと、自分もそういうふうに考えていたからです。

被災者はたしかにかわいそう。でも、結局は中央に依存して生活してるんでしょう。だったらなるべく迷惑かけない方向で復興しなきゃね、という図式を無意識に内面化していました。しかし、この動画に出てくる山下さんの著書や、その他いろいろな言説にふれながら、また研修医として石巻に就職して生活するなかで、そういった考えがどれほど傲慢なものかということを徐々に理解していきました。

こうした「支援してやってるんだから言うこと聞けよ」式の発想は、医療の世界でも当然出てきます。パターナリズムという言葉がありますが、医療の世界では「患者は医者の言うことを聞いていればいい」というような考え方をさして呼ばれる事が多いです。2000年代ぐらいの外科医の自伝本とか読むと、「手術前にやたらとリスクを説明する医者は自分に自信がない」とかいう記述が普通に出てきますw
いわゆるインフォームド・コンセントという、医療行為の前にそのリスクとベネフィットを明らかにして患者から同意・不同意をとるという今では当たり前のことも、こうしたパターナリズムに対する「患者の権利」という概念から出てきたものですが、しかし本当の意味で「患者の権利」を考えていなければ、単なる同意書作成という「儀式」として形骸化するでしょう。
患者の権利という概念を、単純に「治療Aと治療Bのどちらかを患者が決定すること」といった図式でのみ捉えると、どこかで無理がきます。病に侵されたなか、非常に限られた時間で決めなくてはいけないという状況は、それ自体では自由や尊厳からほど遠いものです。かといって、代わりに医者が全部決めるというのではパターナリズムに逆戻りです。ちなみに「患者に寄り添う」とか「共感的態度」とか少々感傷的な言葉は嫌いなので、自分なりに言語化すると、重要なのは一定程度の時間と心理的安全性を確保したうえで、決定のプロセスそのものを共有することだと思います。

こうしたテーマについての自分の理解は、すべて震災時に考えたことから敷衍したものでしかありませんが、意外と今の医療倫理の発想にフィットしているんじゃないかなと感じています。

ところでビデオニュースは必ず、(最近大学から戒告処分を受けたw)M台先生が出演してコメントしていますが、少々我田引水に過ぎるところがあって、ゲストの方の話が脱線しがちな印象です。しかし今回の山下さんは、M台先生のコメントにさらに応答するかたちで議論を盛り上げていて、とても見応えがあったかと思います。新刊も読みたい。

 

(今日の一節)

はぐれてもいいくらい 目隠し外して同じ夜の中にいよう

Let's put off our blindfolds and stay together in the same night dream so that we can find each other wherever you go

milet 作詞 『You & I』