Smoky life in Rochester

Rochester大学にポスドク留学中の日記。膠原病専門。

Scientist

今週は培養→上清添加→染色という一連の流れを行いましたが、うまくできませんでした。なので昨夜、「うまくいかなかったよ!みなさん良い週末を!」というメールを関係者に送ったところ、直接教えてくれた先生(別のラボ)からさっそく返答があり、かなり色んなところで修正が必要であることが判明しました。ありがたいのですが、その先生はいつも「プロトコルをよく読むように」と言いつつ、確認のために質問するとプロトコルと違う答えが返ってきますw それも含めて優しい人なのですけど。はじめから正解を頭に叩き込んで模倣するより、ある程度試行錯誤して少しずつ訂正する方がより深く体得できるという面はあるので、(ボスに急かされない限りはw)今の感じでも良いかという感じです。

 

ビデオニュース・ドットコムで、久しぶりに東北の被災地復興の話がとりあげられていました。(こちらはダイジェスト版で、詳しくは月額登録で見ないといけません。)

 

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話は、被災地復興のなかでも、高台移転と防潮堤建設という「プロジェクト」が、いかに当事者置き去りのいかがわしいものであったかというところから始まります。防潮堤建設も、そういうスキームが最初からあったわけではなく、途中から突然出てきたということです。また、高台移転というのは、当たり前ですが原状復旧に比べてめちゃめちゃ時間がかかるので、その間に余裕のある人は外へ出てしまうので、かえってコミュニティが弱体化するんだということもなるほどと思わされました。

完成後の防潮堤は見てないのですが、これまで普通に海が見えていた景色に突然コンクリートの壁ができてしまうというのは、(賛成反対は抜きにして)たしかに「異様」です。
何かを恐れると、人はなぜか「壁」を作ってしまうのですね。

ゲストの山下さんが言っているのですが、住民の意見集約や連携が市町村レベルで行われていても、どうも県(あるいは国)が強権的なやり方で、ものごとを違う方向に持っていってしまう、そしてどちらかというと岩手県よりも宮城県の方が執拗に防潮堤を張り巡らせていて強権的だと言っています。宮城県知事は震災当時から今まで変わっていません。
私が仙台にいた頃、宮城県美術館という前川國男が設計した築40年ぐらいの美術館の老朽化に伴う建て替え工事が計画されていたのですが、突然、楽天球場近くに移転しますと宮城県が言い出しました。結局、大学人や美術関係者、一般市民がかなり大きく反対運動を行なって、頓挫させたので、めでたしだったのですが、今から振り返るとやっぱりそういう知事だったんだなと妙に納得させられます。

今回のビデオニュースでも、防潮堤建設ありきの政策が進む中、気仙沼の人たちが署名運動を展開して、砂浜を残す方向になんとかこぎつけた(大谷海岸)という事案が紹介されていますが、インタビューで三浦さんが語っているように、「ここまで頑張らないと残せないのか」という具合に、住民側の意見を通すハードルがあまりにも高いようです。

なんでそんな防潮堤なんて建てちゃったんだろう、と今になると思うし、上の動画でも皆さん首をかしげていますが、しかし当時をふりかえると、世の中はそういう流れだったと思います。自分は当時すでに大学生で仙台に住んでいましたが、震災時はちょうど東京に帰っており、しばらくは東京から被災地について考える状態が続いていたのですごくよく覚えているのですが、東京の雰囲気はぶっちゃけ、「被災地は確かにかわいそうだけど、あんなとこに住むのが悪いよな」でした。復興についても、「同じところに建てて、また流されたら金がかかるし、高台に移転するのが当然だろう」という本音がかなりあからさまに感じられました。なんでわかるかというと、自分もそういうふうに考えていたからです。

被災者はたしかにかわいそう。でも、結局は中央に依存して生活してるんでしょう。だったらなるべく迷惑かけない方向で復興しなきゃね、という図式を無意識に内面化していました。しかし、この動画に出てくる山下さんの著書や、その他いろいろな言説にふれながら、また研修医として石巻に就職して生活するなかで、そういった考えがどれほど傲慢なものかということを徐々に理解していきました。

こうした「支援してやってるんだから言うこと聞けよ」式の発想は、医療の世界でも当然出てきます。パターナリズムという言葉がありますが、医療の世界では「患者は医者の言うことを聞いていればいい」というような考え方をさして呼ばれる事が多いです。2000年代ぐらいの外科医の自伝本とか読むと、「手術前にやたらとリスクを説明する医者は自分に自信がない」とかいう記述が普通に出てきますw
いわゆるインフォームド・コンセントという、医療行為の前にそのリスクとベネフィットを明らかにして患者から同意・不同意をとるという今では当たり前のことも、こうしたパターナリズムに対する「患者の権利」という概念から出てきたものですが、しかし本当の意味で「患者の権利」を考えていなければ、単なる同意書作成という「儀式」として形骸化するでしょう。
患者の権利という概念を、単純に「治療Aと治療Bのどちらかを患者が決定すること」といった図式でのみ捉えると、どこかで無理がきます。病に侵されたなか、非常に限られた時間で決めなくてはいけないという状況は、それ自体では自由や尊厳からほど遠いものです。かといって、代わりに医者が全部決めるというのではパターナリズムに逆戻りです。ちなみに「患者に寄り添う」とか「共感的態度」とか少々感傷的な言葉は嫌いなので、自分なりに言語化すると、重要なのは一定程度の時間と心理的安全性を確保したうえで、決定のプロセスそのものを共有することだと思います。

こうしたテーマについての自分の理解は、すべて震災時に考えたことから敷衍したものでしかありませんが、意外と今の医療倫理の発想にフィットしているんじゃないかなと感じています。

ところでビデオニュースは必ず、(最近大学から戒告処分を受けたw)M台先生が出演してコメントしていますが、少々我田引水に過ぎるところがあって、ゲストの方の話が脱線しがちな印象です。しかし今回の山下さんは、M台先生のコメントにさらに応答するかたちで議論を盛り上げていて、とても見応えがあったかと思います。新刊も読みたい。

 

(今日の一節)

はぐれてもいいくらい 目隠し外して同じ夜の中にいよう

Let's put off our blindfolds and stay together in the same night dream so that we can find each other wherever you go

milet 作詞 『You & I』