小学校の合唱会で歌った曲が、こんな歌詞でした。
苦しいとき 小さな夢があれば
どんなに悲しくても辛くても 乗り越えられる
こういう歌って、今どきも学校で歌うんでしょうか。当時は何の疑問も浮かばなかったし、世間的な「良い歌」の範疇に入っていたように思いますが、冷静に考えてだいぶキツい事言ってます。いまの世の中、だいぶ風向きが変わってきて、何でもかんでも「乗り越え」ようとせず、自分のメンタルキャパシティを考慮して、できないものはできない、やりたくないものはやりたくないと素直に言える方がよほど大事だという意見が少し強くなってきているんじゃないでしょうか。
一方で、「夢を見るのは大事」というドグマは相変わらずだと思います。夢を見ることで道を切り開いていく、というような人生のイメージを小学校のときから植え付けられ、その教育ヴィジョンの強化に、各競技の「日本代表」と呼ばれるアスリート達が貢献していますし、最近はバスケにバレーに野球にサッカーにどんどん日本が強くなっていて、人気も出ていますから、「スターの小学校訪問」の機会もこれまで以上に増えそうですよね。日本の学校の先生達の残業時間は世界でも有数です。他方、公的教育の支出額は先進国最低レベルです。こういった現実を、「夢を見る力」で乗り越えられるんでしょうか、という疑問は残ります。
あ、でも確かリモートワークが増えた影響か、最近の子供のなりたい職業は会社員が多いってニュースが少し前にありましたね笑
ちなみに、「人生一度きり、でっかい夢に向かって走らなきゃ勿体無い」という人生の捉え方やそれに付随する成功イメージ(諦めずに続けることで夢を掴む)というのは、結構しぶとくありますよね。自分の中にもあります。自分はもともと西洋の映画作家に憧れていたので、映画監督として成功するイメージをどこかに持っており、自分の人生がそこから離れていく現実にやりきれなくなることがありますし、何か人生において重大な損失を被っているような、もっと言うと、「一度きりの人生を本当にやりたいことに捧げていないヘタレ野郎」という声がどこからともなく聞こえてくるような気分になることがないわけではありません。しかしこうした否定的感情をよくよく吟味してみると、これが上述の「人生イメージ / 成功イメージ」に支えられているということがわかってきます。そして人生というものは、そのようなメタファーだけで語れるものではないと思います。20代後半以降(あるいはパンデミック以降)、私が中心に据えているイメージ=ドグマは少し違いますが、この話はまた今度。
ところで、冒頭に歌の内容に疑問を挟みましたが、冷静に考えたらありえない内容がメロディに乗ると心に響いてしまう、というのが歌の魔法でもあるので、一概に否定できない部分はありますよね。何が言いたいのかわかりませんが。