Smoky life in Rochester

Rochester大学にポスドク留学中の日記。膠原病専門。

Memory

こんにちは。ロチェスターはまだ雪は降らず、風もそんなに吹いていないため、気温こそ氷点下に近づきつつありますが、それほど厳しい天候にはなっていません。いまめっちゃパトカーのサイレン鳴ってます。

実はいまアメリカリウマチ学会(ACR)がサンディエゴで行われていて、当ラボからもボスや発表する先生が現地に行っています。私がこちらに来たのは、昨年のACRで発表をしたあとに、いまのボスが声をかけてきてくれたことがきっかけです。その時、ロチェスター大学ってほとんど聞いたことがなくて、医療経済で有名な兪先生がいたところだったかな、ぐらいの感じだったんですが、場所を調べたらコダックフィルムを開発したジョージ・イーストマンの家があって、そこがいまや博物館になってて連日クラシック映画を上映しているという情報にたどりつき、行くと決めた次第でした。

学会はスポンサーによって規模が変わってきます。リウマチ疾患はモノクローナル抗体製剤などの高額薬品の熾烈な競争市場になっているせいか、日本のリウマチ学会もなかなか規模が大きく、他学会の先生が行くと驚かれることが多いのですが、ACRはとんでもない規模です。普通に歩いて移動していると次のセッションに間に合いません。

今日は居残り組でカンファ室を借りて、ポスターや発表動画をオンラインで視聴しました。学会の発表で自分が魅かれるのは、やはり語り口の独自性です。「この物質を阻害したらこうなった!凄い!」というような新規性や臨床へのインパクトも大事ですが、まぁそういうのは後でじっくり論文を読めばいいと思うんですよね。それよりも、免疫システムや自己免疫現象というものを、この演者はどういうふうに見ているのかな、というところに着目したいなと思っています。今日見たなかでは、Cornell大学のPernis先生の発表が非常に面白かったですね。B細胞の成熟過程では、濾胞でヘルパーT細胞のヘルプを受けるFollicular B細胞に行く道と、濾胞外で成熟するExtra Follicular Pathwayという二つの分化経路があると考えられていて、このこと自体はどんなイントロにも出てくるのですが、Pernis先生はそこで「B細胞がどちらの経路にいくのかに関心を持っているのは私たちだけではありません。病原体も興味を持っています。そしてなるべく病原体に攻撃してこないように、B細胞の分化経路を偏向させようと(Skewing)するわけです」という風に導入していきます。微生物研究をしている人たちからしたら大した話ではないのかもしれませんが、免疫や自己免疫の勉強をしていると、免疫という防御機構の戦略は考えても、なかなか侵入者側の戦略まで頭がまわりません。感染症をきっかけに自己免疫疾患を発症したり、増悪したりといったケースはしばしばあるのですが、それについてもせいぜい、感染をきっかけに免疫システムが過剰に活性化するといった見方をしがちで、微生物側の戦略から自己免疫現象を考えるといったことはそれほど多くないように思います。Pernis先生は免疫細胞や微生物を擬人化して語るのが好きみたいで、目的論的な語り口が魅力的でした。

目的論を非科学的だという人もいますが、「自然や有機体に目的はない」という概念自体に理論的負荷がかかっている点に注意が必要ですし、免疫が宿主を守っているというのは非常にシンプルで明確な目的論です(詳しくはデニス・ノーブル先生の本をどうぞ)。理論はひとつのフィクション=物語ですが、フィクションによって科学的対象が意味を持ち、それが次にすべき実験への道標となっていく、というふうに私は捉えています。なので、学会はそういった魅力的なフィクションにたくさん触れる場所ですね。

週末買ったREIのシューズ。REIはアウトドアショップで、自作ブランドの製品もあります。労働環境の健全化、透明化、環境保護活動にも取り組んでいるエシカルブランドです。

 

WNYCのRadiolabで最近聞いたエピソードの話をします。

The Secret to a Long Life 

番組のプロデューサーさんが行った自己実験の話です。プロデューサーさんは、人生を長く生きたいと思い、どうすれば人生が長く感じられるかを学者さんに相談します。すると、一つの答えとして、時間経験は記憶で出来ているから、なるべくルーチンを行わずに、常に新鮮な経験をすることで脳内を思い出で埋め尽くすことがその秘訣であると教えられます。そこで、プロデューサーさんは1週間にわたって、食べたことのあるものを食べず、常に違う場所で寝て、やったことのないことをたくさんするという生活をして、実際に1週間という時間をどれぐらい長く感じられるかという実験をするわけです。その結果、確かに3-4週間ぐらいに感じられたのですが、メンタル的には結構きつく、見知った友達との時間がすごく大切に思えたと言います。また、時間の引き伸ばされ方は一定ではなく、特定の経験はすごく引き伸ばされていると言います。その例として、実験期間中に予想外にスーパームーンに遭遇したのですが、その前後1時間ぐらいの出来事は一瞬一瞬を鮮明に覚えていて、まるで1週間ぐらいの時が流れたように感じられたということでした。

イーストマンハウスの近くの通り。

新しいことがたくさんあると時間が長く感じられるというのは、まさにロチェスターに来た最初の一週間で自分も経験したので、よくわかります(笑) 最初の1週間が過ぎたとき、自分も2-3週間ぐらい経ったかのように思いました。確かにそれはそれで「濃密な時間」ということもできるのでしょうが、プロデューサーさんも経験しているように、出会うもの全てが新しいというのは、自分の拠り所がないということでもありますから、それは同時にすごく不安定な時間体験にもなりますよね。今日もソーシャル・セキュリティの申請先でやたら待たされて1時間が3時間ぐらいに感じられました(笑)
すごくありきたりな表現になってしまいますが、都市は直線的に時間が流れるのに対して、農村では循環的に時間が流れると言いますよね。実際どうなのか知りませんが、すごく思ったのは、人間にはルーチンが必要だということです。シャワーを浴びるときの洗う順番、歯の磨き方、通勤などがルーチン化することで、安定を得ることができますし、そして何よりこうしたことに注意を払わなくて良いからこそ、違うことに意識を向けることができます(考え事をしながら通勤できる)。
ちょっと話が変わりますが、人間は脳神経の奴隷であるから自由ではないといった話がたまにありますよね。そういった類の話で根拠になるのが、脳科学実験などで、被験者が行動を起こそうと意識するより前に、すでにその行動を起こしているといった事です。ここでは、「自由」というものを、いわば「意のままに何かを行う能力」と定義しているわけです。でも本当に自由とはそういうものなんでしょうか。さきほども書いたように、色々なことをルーチン化させることによって、人は自由を確保しているように思います。熱いものに触れたら無意識のうちに(神経反射の奴隷として)手を引っ込めるからこそ、熱傷せずに生活することができます。あと、これは半分冗談で言うのですが、リオネル・メッシは全てのプレーを意識的に行っているのでしょうか。勝手に足が動くからこそ、敵に囲まれても次のパスコースを見る自由を確保しているように見えます(違ったらすみませんw)。
では、逆に色んな行動様式をルーチン化すればするほど自由なのかというと、それだともはや何も考えずに生きている存在になってしまいます。どうやらルーチンの度合いは自由のたったひとつのパラメータではないようです。

最初はルーチンと時間のことを考えていましたが、これは自由との関連でも考えることができそうだな、と思った次第です。

ではまた。

The Little Theaterの近くにメチャかわアパート発見