Smoky life in Rochester

Rochester大学にポスドク留学中の日記。膠原病専門。

Progress

今日は久しぶりにボスとの面会でした。

最初にボスとの面会をしたときの話を書いたとき、たっぷり時間をとってくれてありがたいといった感じで書きましたが、なんだかんだ忙しい方で毎週の予定が実質隔週になっています。また、いつも11時に設定されているのですが、その前のミーティングがたいてい押しており、そして私との面会の前に必ず新しいコーヒーを入れに行くので笑、始まるのが少し遅れます。またなぜか11時半にラボの他のミーティングがあるので、30分弱で終わってしまうことが多いのが現実です。ちなみにその11時半のミーティングは私も出席するもので、いつもボスと一緒にズームで参加して、気づかれないようにズーム画面から徐々にフェードアウトしていくのが慣例になっています。
と、色々書きましたが、別の不満はなく、それでも建設的な議論をしてくれるので、むしろ毎度楽しみにしています。怖いボスだと、ビクビクしながら面談に臨むなんていう話も聞いたことがありますから、大変良い環境だと思います。

最近は、雲行きが怪しかった研究の方が、当初の目的とは少し違うレベルで面白いデータが見つかり、今日それをボスにお見せして感動を共有していました。
院生時代からRを使ったグラフ作成を練習しておりまして、今回も数日間、試行錯誤を重ねて「エレガントなグラフ」を一生懸命作っておいたので、そのお披露目のつもりだったのですが、一番苦労したグラフを見せる前に終わってしまいました(泣) とはいえ趣旨は伝わったので良しとします。

あと、最近臨床データの収集をするにあたって、電子カルテのアクセスを承認してもらったので、電子カルテはどこにあって、どれを使えばええんやとボスに聞いたら、なんとラボのPCからアクセスできるのだそうです。日本でこれができる大学があるのかわかりませんが、これなら少ない電子カルテの奪い合いも起きず、自分の作業用PCからカルテ情報が閲覧できるので超絶便利です。前からあった仕組みのようなのですが、パンデミックが追い風になったようです("The pandemic accelerated tele-health.")。ちゃんと設定をすればスマホからも閲覧できるようになっていて、これなら上の先生はほとんど動かなくて済みますね。("But the problem is that you're always connected."とも言っていましたが)

パンデミックで遠隔医療の気風は当院でも一瞬流れたのですが、なんか結局、経営上の問題なのか、最近、リモート診療は原則なしになってしまいました。

リモート診療がどこまで効率性を改善するかという話には色々議論がありそうですが、患者目線でも効用があるように思います。というのも、膠原病というのは、治療により元通りの体にするものではなく(現状では困難)、多かれ少なかれ付き合っていかないといけない病気なので、患者それぞれのライフスタイルを一つのコンテクストとして、症状や治療経過を評価していかなければいけません。なので、患者が自宅でリラックスしている状況でのやり取りには、診察室では得られない情報があるということになります(まぁ在宅診療の効用としてよくあげられるポイントですね)。もちろん、身体診察や血液検査ができないといったデメリットがあるので、それぞれに利点と欠点がありますが、コロナ後に体制がなくなってしまったのは残念なことです。

"Our country is really left behind in terms of digital healthcare. Our health care are suffering in short supply, so we have to do something about it, and the digital healthcare is one way. But we're struggling to catch up with it. One of the problems is that different hospitals use diffeerent medical record from different company, so it's difficult to integrate the information."と、たどたどしくお伝えしましたが、その問題はなくはないけど、でも結構な大学が同じ電子カルテを使っているからそこは良いわよね、と言っていました。

 

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日本にいたときに、アルベルト・モラヴィアの『同調者』という小説を読みました。舞台はイタリアで、戦前に少年時代を過ごし、その後イタリア・ファシスト党に入党し、大学教授の暗殺任務を命じられる青年マルチェッロを主人公にした話です。前半ではかなり精神分析的なアプローチで、なぜマルチェッロがファシスト党に入ることになったのか、という部分を描いているのですが、ポイントは、「自分は周りと違っていて異常なのではないか」という懐疑心を抑圧するために周りと同じになることを強く希求する点です。自分が少年時代に抱いた感情や衝動をして、「これは間違ったものではないか」と抑圧するわけです。あぁ、なるほど、と思います。

こういった自己懐疑というものは、自分には悪い血が流れているのではないか?という恐怖心、自分は不幸の星に生まれ落ちたのではないか?といった不安など、さまざまなバリエーションがあると思います。
幾分実存レベルが下がりますが、「ここで行為に及ばないのは男ではないのではないか(興奮していない自分はインポテンツなのではないか)」、「もう5回目のデートなのだからキスしなきゃいけないのではないか」といった社会規範を真に受けることで生じる不安も、その仲間に入れてもいいでしょうか。もちろん自己懐疑や自己反省は自己成長の大事な契機ではありますが、なんというか、自分にはどうしようもない情動経験について間違っているかもしれないという不安を抱いてしまうところに、「みんなと同じでありたい」という同調圧力が侵入する隙間があるのかもしれません。自分としては、懐疑しつつ抑圧もしない、つまり抑圧するのではなく対峙する、というところにしか希望はないのかなと思います。