Smoky life in Rochester

Rochester大学にポスドク留学中の日記。膠原病専門。

救急車の有料化

救急車の有料化って、周期的に話題になる気がします。

少子高齢化が進むなか、社会保障費が高騰して社会保険料もどんどん上がって大変、といういわゆる財政問題のほか、多くの病院で救急医療が逼迫して医療者が疲弊しているといった文脈で、「タクシー代わりの救急要請」や「明らかに軽症な搬送例」などの”エピソード”が、救急車有料化を支持する声を後押ししている印象です。

1ヶ月前にも産経新聞でこのような特集がありました。

【討論】救急車は有料化すべきか(1/2ページ) - 産経ニュース

あるいは、たまにツイッターなどのSNSでもインフルエンサー的な人が上述のようなロジックで、救急車の有料化を言うケースもあるようです。

また、医師のほとんどがこれを支持しています(肌感覚とも合います)。

医師の9割が救急車の有料化を支持:日経ビジネス電子版

 

「現場の意見」の信憑性

一つ言っておきたいのは、「現場の医師の意見」というのは、相当に感情的なものである可能性があるということです(感情的だからダメというわけではありません)。例えば夜中の当直で、せっかく寝ていたのに若者がアルコール中毒で運ばれてくると、「ちくしょうっ!!!」と憤慨してしまうわけです。そんな心理状態のなか、チラッとSNSで、誰かが救急車の有料化を訴えているのを見れば、自然とそれに共感してしまうということがあり得ます。また、研修医になると、夜の救急外来を上級医と一緒に担当することになるのですが、そこで夜遅くに軽症の患者が救急車で運ばれてきたりすると、横で上級医が「まったく、こんなんで呼ぶなよ。救急車は有料化すべきだな、、」とつぶやくのを聞くことになります。そうやって育っていけば、自ずとこうした意見に傾いていくことになりますし、そこにはある種の懲罰的欲求(「こういう非常識な人間は罰金にすべきだ」)の側面があるのではないかと疑います。
何が言いたいかというと、もちろん多くの救急医療の現場は逼迫しており、その負担を軽減することが急務なのは間違いないのですが、もし「救急車の有料化」という政策が医師の間で支持されやすいとすれば、それはその実効性や効果を十分に考えたうえでの意見というよりは、こうした実体験に基づく「印象の強化」が貢献している可能性があるのではないか、ということです。
実体験に基づく意見、つまり現場の意見というものは、それが実体験に基づいているという意味ですごく貴重であると同時に、上記のような認知的バイアスがありうるという点に注意しておく必要があります。実際、実体験で、ということであれば、例えば軽症だと思ったけど実は心筋梗塞でした、とか、そういった事例は枚挙に暇がないので、なかなかそれだけを根拠に言うことは難しいわけです。
とはいえ、急いで付け加えておきたいのですが、上述したように、現場の意見は感情的だからダメだというわけではありません。実際にあり得ないほどの患者数を捌きながら、どんどん疲弊していく医師が、目の前の軽症の救急搬送事例を見て有料化を主張するのであれば、そこには間違いなく汲み取るべき事情があるわけです。ただし、救急車の有料化をすべきだという主張そのものをそのまま受け取るのではなく、そうした主張をするに至る背景となっている、疲弊、負担、ストレスに対する最適な処方箋を考えるべきで、それが本当に救急車有料化なのかということは、今一度立ち止まって考えてみる必要があるでしょう。

 

利害関係は思ったより複雑 軽症救急が「嬉しい」病院も

実際、救急車をめぐっては、それぞれの立場によって相当に見えている景色が違う可能性があると思います。たとえば一口に「現場の医師」といっても、大病院の救急医だけでなく、2次救急病院の当直医もいますし、また地域によって医療システムにかなりの差があり、広域連携がうまくいっている自治体もあれば、全然うまくいっていなくて、過剰な負担に苦しんでいる病院などもあるでしょう。あるいは繁華街近くの病院と、僻地の病院、都心部の病院と郊外の病院では救急搬送の内容も異なってくるでしょう。
また、これはよく見落とされる論点なのですが、病院の経営側のファクターも相当に影響します。日本の医療というのは、国民皆保険という「公助」が非常に世界的にも賞賛されてきた面があるので、すごく公的なものであるという印象を受けますが、実際には病院の8割が民間病院であり、基本的には利益をあげることを考えているわけです。実際、私がバイトで行っていたある民間病院は、救急搬送の受け入れでもらえる救急加算を収入源とすべく、救急車の積極的な受け入れを医師にお願いしていました。断らない救急というと聞こえが良いですが、(その病院の場合)口ではそう言うものの、(パラメディカルも含めた)人的資源がまったく足りていないため、実際には重症患者にはあまり対応できないわけです。そうすると、そういう病院にとっては、軽症の搬送例が「大きな収入源」と言えなくもないわけです。だからどんどん救急車を呼んで良いんだというわけではありませんし、こうした民間病院の経営方針自体にも問題があると思いますが、やはり一口に現場といっても、立場によって見え方は結構違う可能性があるという一つの具体例になるかと思います。救急医療だけでなく、人口減少に伴う民間の病院経営の悪化というのは、この先大きな影響を及ぼす可能性がありそうです(こうした、患者、医師、病院のそれぞれの利害関係の厄介さについては、コロナの搬送困難事例などを通じてかなり世に知れ渡ったのではないかと思います)。

最近ニュースになっていたこの話も、病院経営側が医師に過大な負荷をかけていた事例になります。

常勤医師15人が退職する中核病院の院長を解任…生活保護の患者に差別的な発言?行き過ぎた「救急は断らない」方針で軋轢 - RKBオンライン

こうした事例を踏まえると、「軽症なのに救急車を呼んでしまう困った人」ばかり標的にしていると、視野狭窄に陥り、大局的な視点に立つことができなくなるリスクもありそうです。

実際、救急車を呼ぶ側にしても、色々なシチュエーションがあり得ます。「多くの人は家に救急車が来ると目立ってしまうので、できれば呼びたくないけれども、止むに止まれず呼んでいる」といった意見もよく目にしますし、またこれは上記の地域連携の問題につながりますが、「軽症外来に電話したら救急車を呼べと言われた」といった事例(実際は軽症)は、自分が経験していても相当数ありました。こうした点を踏まえると、一概に「呼ぶ人間に問題がある」とは言えないように思います。

 

 

 

と、色々あてもなく書き連ねてしまいましたが、結局、現場の負担を軽減する目的に対して、救急車の有料化には意味があるのかという点については、こちらの論文などが参考になるかと思います。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/soes/38/0/38_109/_pdf/-char/ja?fbclid=IwAR2mJuvzO67NBcyMmwxb54Rc63BMifEqpf3mfUYNPvaqK6iLS9pN-m2HN7s

※これは自分も盲点だったのですが、日本の「救急搬送」は、医療サービスではなく、消防枠なのだという点です。そのため、財源も社会保険とは別に公的支出がなされているようです。このへんは海外とも異なっており、アメリカやヨーロッパ諸国では救急搬送も含めて医療サービスなのだそうです。

 

救急「要請」よりも、救急「搬送」の抑制を考えてみては?

さて、ここからは相当に個人的な印象論になりますが、積み重なる「軽症の搬送例」に医師が憤慨しているとすれば、その憤慨は「呼んだこと」よりも「搬送されたこと」に対して向けられるべきかと思います。ちょっと法律的なことはあまりわからないので、あくまで実体験に基づく印象ですが、日本では救急車が呼ばれた場合、いわゆる不搬送例というものは非常に少なく、ほとんどのケースで実際に搬送されているのではないかと思います。搬送例のなかには、「明らかに呼ぶ必要のない軽症例」があるということが問題になっています。とすれば、いかに不要な救急「要請」を抑制するかよりも、いかに不要な救急「搬送」を抑制するかを考えるべきでしょう。つまり、要請があって現場に行った救急隊が、これは不要だと判断したものについては不搬送にできるようにする、といったことです。
そう思って調べてみると、一応そういったことはなされているようですが、消防局によって対応がまちまちのようで、少し古いですが、以下の資料によると不搬送判断を実施しているところは少数派のようです。

https://www.fdma.go.jp/singi_kento/kento/items/kento018_10_haifu_2.pdf

もちろんこうした取り組みもそれなりにされているに決まっていますし、#7119のような夜間相談窓口の啓発もありますので、今更私が提案するようなことでもないのですが、しかし考えてみてほしいのは、こうした介入を通じてもなお、不要不急の救急搬送があるとすれば、それは不要不急の症例を、プロが見極めることができていないわけで、それなら一般人にそれを判断せよというのはなおさら無理な話ではないか、ということです。要請から搬送までの過程で、いかに効率よく重症例と軽症例を見極めるかというところのアイデアがもう少し必要なのではないかと思います。

と、思いつきで勝手なことを書きましたが、私は救急医療に関してはまったくの素人ですので、詳しい政策論は専門家に任せるとして、やはり言っておきたいのは、人によって見えている景色が相当に違うということと、「軽症なのに救急車を呼んでしまう困った人」を標的にするのではなく、どうすれば全体としての救急医療の逼迫を抑制できるか、ということを踏まえて議論すべきだということです。

で、個人的には以上の観点から、救急車有料化は、「割と反対」です。